日本仏教の一宗派
法然上人源空を開祖とし、阿弥陀仏に帰命し、その本願を信じ、称名念仏によって、その浄土への往生を期することを教旨とする。
知恩院(京都市東山区)を総本山とし、増上寺(東京都港区)、金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)(京都市左京区)、知恩寺(京都市左京区)、清浄華院(しょうじょうけいん)(京都市上京区)
善導寺(ぜんどうじ)(福岡県久留米(くるめ)市)、光明寺(こうみょうじ)(神奈川県鎌倉市)、善光寺大本願(長野市)を大本山とする。
《無量寿経》《観無量寿経》《阿弥陀経》の三経(浄土三部経)とインドの世親の著した《浄土論》を正依の経論とし,称名念仏(南無阿弥陀仏と口に称える)によって
阿弥陀仏の極楽浄土へ往生することを期す。唐の善導を高祖,法然を宗祖とする。
1175年(安元1)法然は43歳で専修念仏の確信をえた。まだ教団は形成されていなかったが,このときをもって浄土宗開創とする。

法然

鎌倉初期の僧。浄土宗の開祖。諱(いみな)は源空,勅諡(ちょくし)は円光大師など,通称は黒谷上人。
美作の人。1147年比叡山で源光の門に入り,天台を学んだが,1150年教学などに対する疑問を生じ,西塔黒谷の叡空のもとに隠棲し,法然房源空と称した。
以後20年間修学,善導の《観経疏》によって,称名念仏に専修する悟りに達した。
のち,東山の吉水に草庵を結び,老若貴賤を問わず教化した。
1186年天台の学匠顕真と専修念仏について議論し,女官の出家を契機として南都北嶺の迫害を受け,1207年土佐に配流された。
その思想は《選択本願念仏集》に最もよく表現され,至誠心,深心,回向発願心の三心によって,老若貴賤,修行の多寡など問題なく,阿弥陀仏によって救われるとした。
門下に聖光,源智,証空,親鸞などを出し,日本浄土教の発展の基礎となった。